手術を受けるかどうかに関しては、「こんな悩んだことある?」っていうぐらい悩みました。
いくつもの医療機関を受診しながら、同時に手術をすべきかどうかを真剣に考えていたんですが、誇張抜きで仕事が手につきませんでした。
手術を受けるメリットとデメリットを天秤にかけたときに、「~かもしれない」という可能性論を列挙せざるを得なくて、何をどう考えても明確に「こうすべき」という結論が出てこないんです。
それでもなぜ手術を受けることにしたのか。
きっと同じように何も手につかないぐらい考え込んでる方もいらっしゃるのではないかと思い、そのときに何を考えたのかをご参考までにお伝えできればと思います。
KIRO-岐路-
漏斗胸の手術を受ける?受けない?
KIRO選択ポイント
- 漏斗胸のことがよく分からない。
- かかりつけ医には「たぶん大丈夫でしょう」と言われた。
- 身体に原因不明の症状がある。
- 心電図異常が発生しており不安。
- 30代にもなってわざわざ手術を受ける必要性があるのか分からない。
- 手術をするリスク(後悔)が怖い。
- 手術をしないリスク(後悔)が怖い。
選択
手術受けちゃう!
<ご参考:前回まで>
【後悔しない漏斗胸手術】成人30代がNuss法を決断した結果!(専門医受診編)
1.悩んだ理由
(1)必ずやらなければいけない手術ではない
例えば「今すぐ手術をしなければ1年以内には・・・」とまで言われてしまえば、あれやこれや悩むまでもなく「今すぐ受けましょう!」という展開になるんだと思います。
ところがどっこい、そんなに歯切れがよくないもの、THIS IS ロ ウ ト キ ョ ウ !
「手術をしなくても何事もなく生活ができる人もいます」、「逆に、手術をしなくて何年も経った後、胸の痛みを訴え始める人もいます」、「これまでこの状態で過ごしてきたので、今さら特に急ぐ必要もありません」、etc・・・。
要は、手術をしたとしても、しなかったとしても、数十年後にどうなるかはワカリマシェン、THIS IS ロ ウ ト キ ョ ウ !
・・・・・地獄(笑)
手術を判断する為の材料が薄すぎるんです。
重度でない限り、「やりたければどうぞ」っていうスタンスでお迎えされます。
緊急性が何一つないということで、基本、本人の意思にゆだねられます。
(2)手術をして改善(満足)する保証が何一つない
漏斗胸について、一つだけ確実にわかることは、「普通より胸が凹んで見える」ということです。
逆に言えば、それ以外のことで、「漏斗胸が原因で起きていると言い切れること」は何一つありません。
「この症状は原因がわからない」から「漏斗胸が起因している可能性も“ゼロではない”」というだけです。
今回、心電図異常がきっかけで今に至っていますが、そもそも、漏斗胸が手術で治ったとしても、心電図異常が治る保証なんて一切ないんです。
仮に漏斗胸が原因で疲れやすい体質になっているとしても、そもそも生まれてこの方それが当たり前だと思って生活をしてきているので、それが改善するなんて今の自分には想像もできません。
というか、むしろ、「疲れやすい体質」なんていうのは架空の体質に過ぎないのかもしれません。
漏斗胸が原因で起きていること(自分の身体の状態)を科学的・医学的に数値か何かで示されるとわかりやすいのですが、どうやらそういうものはありません。
手術を受けた結果として、初めて、「ああ、あれは漏斗胸が原因だったんだな」、「コレは漏斗胸は関係なかったんだな」というのがわかるわけです。
要は、何がどうなるのかが結果が何ひとつ見えない状態で選択しなければいけないという地獄です。
(3)30代にもなって手術をするメリットが見えない
自分を悩ませた最大の要因がコレです。
自分が10代、20代だったらこんなに悩まなかったと思います。
30代半ば、もうね、青春終わってるんですよ。笑。
家庭を持ち、子供の成長を見守る大の大人が、この期に及んで胸の凹みなんか何を気にする必要があるのか、と。
ましてや、当の本人(自分)は幼少期より胸の凹みの自覚はあったものの、気にせずにプールやら温泉やら入っていたタイプです。
というか、こんなことを言ってる今ですら、子供と一緒にプール、温泉へと楽しんでます。
確かに、人と違うという点で、人目を一切気にしないというわけではないのですが、とは言え、とっくに青春時代を終えた三十代半ばの自分がそれこそ手術する意味なんてあるんだろうか、っていう。
手術をするのは若い方がイイということも言われていますし、仮に手術を受けるとして、「なにを目的に自分は手術を受けるのだろうか」とずっと悩んでいました。
(4)「今しかない時間」を失うことになる
率直に、自分の子供と思いきり遊べなくなることに対する不安です。
うちの子、まだ小さくて。
何かあったらすぐ泣きますし、当然ながら抱っこもよくしてあげます。
それが手術をしたらどうなるのか。
少なくとも半年は抱っこなんてできなくなると思っています。
半年以上経過したとしても、遊び盛りで突進してくる子供に対して「危ないから来ないで!」って本気で言わざるを得なくなると思っています。
子供にとって(自分にとっても)「今しかない」時間を確実に失うことになるんですね。
そう考えると、なんか悲しいというか、寂しいというか、申し訳ないというか。
私にとっては「子供とのふれあい」でしたが、きっと他にも「今しかない時間を失うこと」で悩まれる方は多いのではないでしょうか。
(5)「手術をしてよかった」という感想がほぼ見当たらない
これに関しては今でも恐怖なんですが(笑)、「これから手術をするぞ!」、「手術をしたぞ!」っていうブログはたくさん目に入るのに対して、「手術をして良かったぞ!」っていうブログが全くないんです。
ひとの心理上、不安・不満があるときに発散目的として思いを発信することが多いため、ポジティブに考えると(裏を返すと)、手術後の結果に満足してしまって記録を残さなくなっただけとも言えますが、それはあくまで推測でしかなく。
そもそも成人が漏斗胸の手術をするというケース自体が少ないということもあるのかもしれません。
「やってよかった」っていう感想をひたすら探した時期もありましたが、あまりにも見られないため、「もしかしたら手術したら後悔するのではないか・・」という逆の推測もしてしまいます。
CHECK:「もう一度受けようと思う」
漏斗胸の手術を受けた方とやり取りさせていただくこともありますが、先日、バーの抜去まで完了された方に「過去(手術前)にもし戻ったとして、また手術を受けたいと思うか?」と聞いてみました。答えは、「また受けたいと思う。機能的な改善の実感は正直ないが、見た目が変わるだけでもまた手術を受けたいと思う」でした。バー抜去後の感想を見る機会は実際あまりないのですが、手術をして良かったと思う方は確実にいらっしゃいます。
2.それでも決断した理由
それだけ悩みながら、なぜ決断したか…
(1)「漏斗胸のせいかも」と思う人生を送りたくなかったから
文字通りです。
これまで散々書いてきた、原因不明なことがある度に「漏斗胸が原因の可能性も0ではない」と思うこと、それがイヤでした。
「持久力がない」ことも、「疲れやすい」ことも、漏斗胸を原因にしないように生きてきたつもりです。
でもその反面、「もしかしたら漏斗胸が治ればよくなるかも」と思ってしまう自分も確実にいて。
「漏斗胸」がちらついてしまうと、それ以外の可能性を自分自身で潰してしまっている気がして。
大げさに言うと、「漏斗胸」に逃げてしまう自分がイヤということでしょうか。
30代、確かにもう大の大人ではありますが、人生80年と考えたとしたらまだ半分も生きてません。
あと40年以上、これからさらに身体の不調を感じるようになっていくと思いますが、その度に「ああ、あのとき漏斗胸の手術をしておけばよかった」、「漏斗胸だからこんなことになったんだ」、そんなことをイチイチ思う人生を送りたくないと思いました。
(2)今後の人生において「今」が一番若いから
手術する必要があるかどうかは一旦置いといたとしても、一つだけ確実に分かっていることは、「もし手術をするのであれば若い方がイイ」ということです。
そして、今後の人生で自分が一番若いのは「今」ということです。
10代、20代、30代と経てきた結果、年を取ればとるほどあちこちでガタが出始めるいうことは明確に肌で感じております。
体力は確実に落ち、病気やケガへの適応力も確実に落ちてきました。
まあ、年齢のせいというよりは、正確には年齢と共に変わっていった「不健康な生活習慣」が原因な気はしますが(笑)
それを考えると、やっぱり今後悩み続ける(手術を受ける可能性を持ち続ける)ぐらいなら、「今」、手術を受けた方がイイなと思った次第です。
CHECK:「心のどこかで…」
ご高齢になってから手術を受けた方がいらっしゃるのですが、手術を受けた理由を聞いて、シンプルではあるもののとても重みのある言葉だと思いました。その”理由”というのが、「心のどこかで気になっていたから」・・・です。昔は今のように気軽に漏斗胸の手術ができるようなものではなかった為、きっと気にはなっていたものの諦めた過去があるんだと思います。そんな理由で今さら?って思われるかもしれませんが、私自身もこのまま放置したとしたら何十年経っても心のどこかで気にし続けるであろう未来が容易に想像できます。深く共感すると同時に、手術決断への後押しになった言葉の1つでもあります。
(3)手術を自分自身で経験したかったから
将来的にどうなるかは現時点では正直全く分かりませんが、子供にも若干の凹みがあるように見受けられるため、実際に自分で手術を経験することで「受けた方がいい」「受けない方がいい」「手術を受けると〇〇が不自由になるので受けるなら〇歳ぐらいには受けた方がいい」等々の経験から来る具体的な助言、判断をいざというときにできるようになりたいと思いました。
また、かなりの高確率で誰でもなりえることですので(近しい知人に手術の話しをした際にも「実は私も胸の骨が・・」、「私の親戚にも・・・」と何名かに言われました)、周りの友人やそのお子さんが漏斗胸に悩むことがあった際にも、自分の経験を通じた助言を行うことでその人たちの気持ちを楽にできたらと思っています。
CHECK:遺伝云々どうでもいい
気にされる方も居ると思うので敢えてドライに申し上げると、“漏斗胸”が子供に遺伝するとかしないとかいう議論は私はどうでもいいと思っています。
自分の子供である以上、似る部分と似ない部分があるのは当たり前であって、その中で胸郭の形状が遺伝するかどうかなんていうところを局所的に議論をする意味もなければ、その答えが出たとして「で?」としかいいようがない話しです。
ましてや「1,000人に1人以上の高い確率で居る」と言われ、無症状(無自覚)の人も多数居るようなレベルの話しです。
さらに言えば、漏斗胸を直接の原因としてそのまま生死に直結するわけでもありません。
そんな中でそこだけを切り取って気にするぐらいなら、もっと他に前向きに悩めることがたくさんあるような気がします。
(4)人目を気にせず胸を張って堂々とした姿に憧れたから
「きっかけ編」でも記載したとおり、友人と一緒にプールや温泉に行くことにためらうことは一切なく、そういった点では思春期も含めて不自由もなく満喫した人生でした。
ただ、厳密に言うと、確かに胸を見せることにためらいは一切ありませんでしたが、「堂々と見せれたか」というと話しは別です。
見られなくて済むなら極力見られたくないという気持ちは過去も今もあります。
なんなら、意識的にお腹を凹ませたりもします(笑)
いわゆる「痩せてみられたい」という一般的な気持ちもありますが、それとは異なる次元で、お腹を凹ませることで、相対的に胸の凹みが目立たなくなるんじゃないかという心理によるものです(実際は何も変わらないんですが)。
「めちゃくちゃ気心が知れた人」か、もしくは逆に「全く見ず知らずの二度と会うこともないような人」であればそこまで気にはなりませんが、その間を取った「なんとなく顔見知り」ぐらい微妙な距離感の人に胸を見られるのは正直抵抗感があるというのは本音のところです。
30代となった今でも持ち続けている感覚ですので、これに関しては思春期がどうとか関係なく、今後何歳になっても消えることのない劣等感なんだと思います。
例えば、子供の親同士の繋がりでプールに行くような機会があったとして(絶対そんな機会ありませんが。笑)、胸を張って行ける自信は自分にはないです。
そんなときでも(繰り返しますが、絶対そんな機会ありませんが!笑)、胸を張って堂々とした恰好いい親でありたい、そんな気持ちでいます。
(5)結局、自分自身が手術を受けたいと思っていることに自分で気づいたから
シンプルな自問自答です。
はじめは『手術の必要性の有無』を視点に考えていたんですが、どれだけ考えても決断ができませんでした。
モヤモヤ続きで吐きそう(笑)だったある日、ふと思ったのが『そもそも自分は手術を受けたいのか?受けたくないのか?』ということでした。
『すべきかどうか』ではなく、自分は手術を『したいのか』。
答えは、「したくない!」、「痛いし辛そうだし後悔しそうだから」、です。笑。
ただ、それでも、心のどこかで手術を受けてみたいと思っている自分も確実に居て。
そして、『しない後悔』よりも『する後悔』を選択したいのが自分だということも分かっています。
自分自身の気持ちと純粋に向き合った結果、自分が『手術をしたい』と思っていることを素直に認めることにしました。
(6)仕事を休めることに魅力を感じたから
不純かつしょーもない理由ですが、『手術すれば仕事から離れてゆっくりできる!!』と思ったことは紛れもない事実です。
あまりにも仕事に追われ過ぎている為、入院すれば一旦リセットしたいなと。
さすがにこれだけを理由に手術を受けることはあり得ませんが、副産物として魅力的なメリットの一つだと捉えていました。
(7)「迷ったら“怖い方”を選べ」
手術を受けることを決心した上で、最後のひと押しになったパワーワードです。
どういう検索ワードで出てきた言葉かもはや覚えてませんが、悩みすぎて色んなウェブページを眺めていたときにパッと目に入り、一気に覚悟を決めることができました。
迷ったら怖いと思う方を選べ。
『困難な道』とか『勇気のいる方』とか、まぁ言い回しは色々あるのでなんでもいいんですが、要は、「怖い」と思うのに迷っているということは、裏を返すと「迷ってる理由は怖いだけに過ぎない(怖くなければ迷わず選ぶ)」ということです。
これに関しては理屈では説明できなくて、これまでの経験から来る感覚的な共感でしかないんですが、この言葉は本当に大切にした方が良い言葉だと私は思いました。
怖い方を選んで結果的に後悔することはもちろんありますが、「当たり障りのない方を選んだ結果の後悔」に比べて、なんなら「当たり障りのない方を選んで得られた成功」よりも、「怖い方を選んで得られた結果」の方が気持ちがスッキリするというか。
悩みながら今このブログを読んでる方、もし悩んでる理由が『○○が怖いから』というものであったとしたら、、ぜひ勇気を出して敢えて怖い方を選ぶということも考えてみると良いかもしれません。
・・・その結果に対して私はなんの責任も取りませんが(笑)
CHECK:怖かった理由
30代ならではの感情かと思うのでご紹介すると、私が一番怖いと思っていた理由は、「手術をしたことを後悔すること」でした。
具体的ではなく漠然とした感情なんですが、少なくとも手術自体が怖いとかそういうものではなく、身体の一部を切って金属バーを挿入することについて、一度やってしまったら後戻りできない恐怖というか。
なんらかの理由で「やめとけば良かった」と将来思ったときに、もう二度と元に戻せない現実があるというか。
曲がりなりにも30年以上この身体で過ごして来れたので、そこを崩してまで敢えて踏み込んだ一歩を「後悔」する結果が訪れたとしたら、それはなかなかのダメージだな、と。
結局、「やらない後悔よりやる後悔」というモットーのもと吹っ切りました。
結果
報告
これを言うと人によっては反感を買うかもしれませんが、漏斗胸手術は美容整形の一つだと思っています。
・・・というか、敢えてそう考えるようにしました。
もちろん、重度の方にとってはそんな軽々しいものではないのですが。
ただ、漏斗胸の手術の要否について悩み始めると、結局のところ可能性論に終始してしまうので、であれば、いっそのこと美容整形として割り切った方が気持ちが楽になります。
手術をすることで、程度に差はあれど、凹みは軽減することは間違いありません。(後戻りするかどうかはさておき)
そこだけが唯一、「~かもしれない」ではない、確実な部分です。
機能面(呼吸が楽になる、心臓の痛みがなくなる、等々)はすべて「~かもしれない」の話しでしかありません。
であれば、はじめからコレは美容整形だと割り切り、機能面での改善については何も期待しない(良くなればラッキー)方が、考えなければいけないポイントも焦点が当てやすくなり、私は決断しやすくなりました。
それでも手術を受けたいと思うかどうか。
私は先の理由により、それでも手術を受けてみよう(自分の場合は手術を受けない方が後悔する)と思いました。
結果がどうであれば、それも一つの経験として前向きに受け入れるつもりです。
以上
https://www.kirocloak.com/routo_ketsudan/https://www.kirocloak.com/wp-content/uploads/2022/06/syujutsu_ketsudan_img001-1024x741.jpghttps://www.kirocloak.com/wp-content/uploads/2022/06/syujutsu_ketsudan_img001-150x150.jpgKIROcloak健康手順・方法・説明評価・口コミ・レビュー・比較漏斗胸手術を受けるかどうかに関しては、「こんな悩んだことある?」っていうぐらい悩みました。
いくつもの医療機関を受診しながら、同時に手術をすべきかどうかを真剣に考えていたんですが、誇張抜きで仕事が手につきませんでした。
手術を受けるメリットとデメリットを天秤にかけたときに、「~かもしれない」という可能性論を列挙せざるを得なくて、何をどう考えても明確に「こうすべき」という結論が出てこないんです。
それでもなぜ手術を受けることにしたのか。
きっと同じように何も手につかないぐらい考え込んでる方もいらっしゃるのではないかと思い、そのときに何を考えたのかをご参考までにお伝えできればと思います。
KIRO-岐路-
漏斗胸の手術を受ける?受けない?
KIRO選択ポイント
漏斗胸のことがよく分からない。
かかりつけ医には「たぶん大丈夫でしょう」と言われた。
身体に原因不明の症状がある。
心電図異常が発生しており不安。
30代にもなってわざわざ手術を受ける必要性があるのか分からない。
手術をするリスク(後悔)が怖い。
手術をしないリスク(後悔)が怖い。
選択 手術受けちゃう!
<ご参考:前回まで>
https://www.kirocloak.com/routo_jushin/
1.悩んだ理由
(1)必ずやらなければいけない手術ではない
例えば「今すぐ手術をしなければ1年以内には・・・」とまで言われてしまえば、あれやこれや悩むまでもなく「今すぐ受けましょう!」という展開になるんだと思います。
ところがどっこい、そんなに歯切れがよくないもの、THIS IS ロ ウ ト キ ョ ウ !
「手術をしなくても何事もなく生活ができる人もいます」、「逆に、手術をしなくて何年も経った後、胸の痛みを訴え始める人もいます」、「これまでこの状態で過ごしてきたので、今さら特に急ぐ必要もありません」、etc・・・。
要は、手術をしたとしても、しなかったとしても、数十年後にどうなるかはワカリマシェン、THIS IS ロ ウ ト キ ョ ウ !
・・・・・地獄(笑)
手術を判断する為の材料が薄すぎるんです。
重度でない限り、「やりたければどうぞ」っていうスタンスでお迎えされます。
緊急性が何一つないということで、基本、本人の意思にゆだねられます。
(2)手術をして改善(満足)する保証が何一つない
漏斗胸について、一つだけ確実にわかることは、「普通より胸が凹んで見える」ということです。
逆に言えば、それ以外のことで、「漏斗胸が原因で起きていると言い切れること」は何一つありません。
「この症状は原因がわからない」から「漏斗胸が起因している可能性も“ゼロではない”」というだけです。
今回、心電図異常がきっかけで今に至っていますが、そもそも、漏斗胸が手術で治ったとしても、心電図異常が治る保証なんて一切ないんです。
仮に漏斗胸が原因で疲れやすい体質になっているとしても、そもそも生まれてこの方それが当たり前だと思って生活をしてきているので、それが改善するなんて今の自分には想像もできません。
というか、むしろ、「疲れやすい体質」なんていうのは架空の体質に過ぎないのかもしれません。
漏斗胸が原因で起きていること(自分の身体の状態)を科学的・医学的に数値か何かで示されるとわかりやすいのですが、どうやらそういうものはありません。
手術を受けた結果として、初めて、「ああ、あれは漏斗胸が原因だったんだな」、「コレは漏斗胸は関係なかったんだな」というのがわかるわけです。
要は、何がどうなるのかが結果が何ひとつ見えない状態で選択しなければいけないという地獄です。
(3)30代にもなって手術をするメリットが見えない
自分を悩ませた最大の要因がコレです。
自分が10代、20代だったらこんなに悩まなかったと思います。
30代半ば、もうね、青春終わってるんですよ。笑。
家庭を持ち、子供の成長を見守る大の大人が、この期に及んで胸の凹みなんか何を気にする必要があるのか、と。
ましてや、当の本人(自分)は幼少期より胸の凹みの自覚はあったものの、気にせずにプールやら温泉やら入っていたタイプです。
というか、こんなことを言ってる今ですら、子供と一緒にプール、温泉へと楽しんでます。
確かに、人と違うという点で、人目を一切気にしないというわけではないのですが、とは言え、とっくに青春時代を終えた三十代半ばの自分がそれこそ手術する意味なんてあるんだろうか、っていう。
手術をするのは若い方がイイということも言われていますし、仮に手術を受けるとして、「なにを目的に自分は手術を受けるのだろうか」とずっと悩んでいました。
(4)「今しかない時間」を失うことになる
率直に、自分の子供と思いきり遊べなくなることに対する不安です。
うちの子、まだ小さくて。
何かあったらすぐ泣きますし、当然ながら抱っこもよくしてあげます。
それが手術をしたらどうなるのか。
少なくとも半年は抱っこなんてできなくなると思っています。
半年以上経過したとしても、遊び盛りで突進してくる子供に対して「危ないから来ないで!」って本気で言わざるを得なくなると思っています。
子供にとって(自分にとっても)「今しかない」時間を確実に失うことになるんですね。
そう考えると、なんか悲しいというか、寂しいというか、申し訳ないというか。
私にとっては「子供とのふれあい」でしたが、きっと他にも「今しかない時間を失うこと」で悩まれる方は多いのではないでしょうか。
(5)「手術をしてよかった」という感想がほぼ見当たらない
これに関しては今でも恐怖なんですが(笑)、「これから手術をするぞ!」、「手術をしたぞ!」っていうブログはたくさん目に入るのに対して、「手術をして良かったぞ!」っていうブログが全くないんです。
ひとの心理上、不安・不満があるときに発散目的として思いを発信することが多いため、ポジティブに考えると(裏を返すと)、手術後の結果に満足してしまって記録を残さなくなっただけとも言えますが、それはあくまで推測でしかなく。
そもそも成人が漏斗胸の手術をするというケース自体が少ないということもあるのかもしれません。
「やってよかった」っていう感想をひたすら探した時期もありましたが、あまりにも見られないため、「もしかしたら手術したら後悔するのではないか・・」という逆の推測もしてしまいます。
CHECK:「もう一度受けようと思う」
漏斗胸の手術を受けた方とやり取りさせていただくこともありますが、先日、バーの抜去まで完了された方に「過去(手術前)にもし戻ったとして、また手術を受けたいと思うか?」と聞いてみました。答えは、「また受けたいと思う。機能的な改善の実感は正直ないが、見た目が変わるだけでもまた手術を受けたいと思う」でした。バー抜去後の感想を見る機会は実際あまりないのですが、手術をして良かったと思う方は確実にいらっしゃいます。
2.それでも決断した理由
それだけ悩みながら、なぜ決断したか…
(1)「漏斗胸のせいかも」と思う人生を送りたくなかったから
文字通りです。
これまで散々書いてきた、原因不明なことがある度に「漏斗胸が原因の可能性も0ではない」と思うこと、それがイヤでした。
「持久力がない」ことも、「疲れやすい」ことも、漏斗胸を原因にしないように生きてきたつもりです。
でもその反面、「もしかしたら漏斗胸が治ればよくなるかも」と思ってしまう自分も確実にいて。
「漏斗胸」がちらついてしまうと、それ以外の可能性を自分自身で潰してしまっている気がして。
大げさに言うと、「漏斗胸」に逃げてしまう自分がイヤということでしょうか。
30代、確かにもう大の大人ではありますが、人生80年と考えたとしたらまだ半分も生きてません。
あと40年以上、これからさらに身体の不調を感じるようになっていくと思いますが、その度に「ああ、あのとき漏斗胸の手術をしておけばよかった」、「漏斗胸だからこんなことになったんだ」、そんなことをイチイチ思う人生を送りたくないと思いました。
(2)今後の人生において「今」が一番若いから
手術する必要があるかどうかは一旦置いといたとしても、一つだけ確実に分かっていることは、「もし手術をするのであれば若い方がイイ」ということです。
そして、今後の人生で自分が一番若いのは「今」ということです。
10代、20代、30代と経てきた結果、年を取ればとるほどあちこちでガタが出始めるいうことは明確に肌で感じております。
体力は確実に落ち、病気やケガへの適応力も確実に落ちてきました。
まあ、年齢のせいというよりは、正確には年齢と共に変わっていった「不健康な生活習慣」が原因な気はしますが(笑)
それを考えると、やっぱり今後悩み続ける(手術を受ける可能性を持ち続ける)ぐらいなら、「今」、手術を受けた方がイイなと思った次第です。
CHECK:「心のどこかで…」
ご高齢になってから手術を受けた方がいらっしゃるのですが、手術を受けた理由を聞いて、シンプルではあるもののとても重みのある言葉だと思いました。その'理由'というのが、「心のどこかで気になっていたから」・・・です。昔は今のように気軽に漏斗胸の手術ができるようなものではなかった為、きっと気にはなっていたものの諦めた過去があるんだと思います。そんな理由で今さら?って思われるかもしれませんが、私自身もこのまま放置したとしたら何十年経っても心のどこかで気にし続けるであろう未来が容易に想像できます。深く共感すると同時に、手術決断への後押しになった言葉の1つでもあります。
(3)手術を自分自身で経験したかったから
将来的にどうなるかは現時点では正直全く分かりませんが、子供にも若干の凹みがあるように見受けられるため、実際に自分で手術を経験することで「受けた方がいい」「受けない方がいい」「手術を受けると〇〇が不自由になるので受けるなら〇歳ぐらいには受けた方がいい」等々の経験から来る具体的な助言、判断をいざというときにできるようになりたいと思いました。
また、かなりの高確率で誰でもなりえることですので(近しい知人に手術の話しをした際にも「実は私も胸の骨が・・」、「私の親戚にも・・・」と何名かに言われました)、周りの友人やそのお子さんが漏斗胸に悩むことがあった際にも、自分の経験を通じた助言を行うことでその人たちの気持ちを楽にできたらと思っています。
CHECK:遺伝云々どうでもいい
気にされる方も居ると思うので敢えてドライに申し上げると、'漏斗胸'が子供に遺伝するとかしないとかいう議論は私はどうでもいいと思っています。
自分の子供である以上、似る部分と似ない部分があるのは当たり前であって、その中で胸郭の形状が遺伝するかどうかなんていうところを局所的に議論をする意味もなければ、その答えが出たとして「で?」としかいいようがない話しです。
ましてや「1,000人に1人以上の高い確率で居る」と言われ、無症状(無自覚)の人も多数居るようなレベルの話しです。
さらに言えば、漏斗胸を直接の原因としてそのまま生死に直結するわけでもありません。
そんな中でそこだけを切り取って気にするぐらいなら、もっと他に前向きに悩めることがたくさんあるような気がします。
(4)人目を気にせず胸を張って堂々とした姿に憧れたから
「きっかけ編」でも記載したとおり、友人と一緒にプールや温泉に行くことにためらうことは一切なく、そういった点では思春期も含めて不自由もなく満喫した人生でした。
ただ、厳密に言うと、確かに胸を見せることにためらいは一切ありませんでしたが、「堂々と見せれたか」というと話しは別です。
見られなくて済むなら極力見られたくないという気持ちは過去も今もあります。
なんなら、意識的にお腹を凹ませたりもします(笑)
いわゆる「痩せてみられたい」という一般的な気持ちもありますが、それとは異なる次元で、お腹を凹ませることで、相対的に胸の凹みが目立たなくなるんじゃないかという心理によるものです(実際は何も変わらないんですが)。
「めちゃくちゃ気心が知れた人」か、もしくは逆に「全く見ず知らずの二度と会うこともないような人」であればそこまで気にはなりませんが、その間を取った「なんとなく顔見知り」ぐらい微妙な距離感の人に胸を見られるのは正直抵抗感があるというのは本音のところです。
30代となった今でも持ち続けている感覚ですので、これに関しては思春期がどうとか関係なく、今後何歳になっても消えることのない劣等感なんだと思います。
例えば、子供の親同士の繋がりでプールに行くような機会があったとして(絶対そんな機会ありませんが。笑)、胸を張って行ける自信は自分にはないです。
そんなときでも(繰り返しますが、絶対そんな機会ありませんが!笑)、胸を張って堂々とした恰好いい親でありたい、そんな気持ちでいます。
(5)結局、自分自身が手術を受けたいと思っていることに自分で気づいたから
シンプルな自問自答です。
はじめは『手術の必要性の有無』を視点に考えていたんですが、どれだけ考えても決断ができませんでした。
モヤモヤ続きで吐きそう(笑)だったある日、ふと思ったのが『そもそも自分は手術を受けたいのか?受けたくないのか?』ということでした。
『すべきかどうか』ではなく、自分は手術を『したいのか』。
答えは、「したくない!」、「痛いし辛そうだし後悔しそうだから」、です。笑。
ただ、それでも、心のどこかで手術を受けてみたいと思っている自分も確実に居て。
そして、『しない後悔』よりも『する後悔』を選択したいのが自分だということも分かっています。
自分自身の気持ちと純粋に向き合った結果、自分が『手術をしたい』と思っていることを素直に認めることにしました。
(6)仕事を休めることに魅力を感じたから
不純かつしょーもない理由ですが、『手術すれば仕事から離れてゆっくりできる!!』と思ったことは紛れもない事実です。
あまりにも仕事に追われ過ぎている為、入院すれば一旦リセットしたいなと。
さすがにこれだけを理由に手術を受けることはあり得ませんが、副産物として魅力的なメリットの一つだと捉えていました。
(7)「迷ったら“怖い方”を選べ」
手術を受けることを決心した上で、最後のひと押しになったパワーワードです。
どういう検索ワードで出てきた言葉かもはや覚えてませんが、悩みすぎて色んなウェブページを眺めていたときにパッと目に入り、一気に覚悟を決めることができました。
迷ったら怖いと思う方を選べ。
『困難な道』とか『勇気のいる方』とか、まぁ言い回しは色々あるのでなんでもいいんですが、要は、「怖い」と思うのに迷っているということは、裏を返すと「迷ってる理由は怖いだけに過ぎない(怖くなければ迷わず選ぶ)」ということです。
これに関しては理屈では説明できなくて、これまでの経験から来る感覚的な共感でしかないんですが、この言葉は本当に大切にした方が良い言葉だと私は思いました。
怖い方を選んで結果的に後悔することはもちろんありますが、「当たり障りのない方を選んだ結果の後悔」に比べて、なんなら「当たり障りのない方を選んで得られた成功」よりも、「怖い方を選んで得られた結果」の方が気持ちがスッキリするというか。
悩みながら今このブログを読んでる方、もし悩んでる理由が『○○が怖いから』というものであったとしたら、、ぜひ勇気を出して敢えて怖い方を選ぶということも考えてみると良いかもしれません。
・・・その結果に対して私はなんの責任も取りませんが(笑)
CHECK:怖かった理由
30代ならではの感情かと思うのでご紹介すると、私が一番怖いと思っていた理由は、「手術をしたことを後悔すること」でした。
具体的ではなく漠然とした感情なんですが、少なくとも手術自体が怖いとかそういうものではなく、身体の一部を切って金属バーを挿入することについて、一度やってしまったら後戻りできない恐怖というか。
なんらかの理由で「やめとけば良かった」と将来思ったときに、もう二度と元に戻せない現実があるというか。
曲がりなりにも30年以上この身体で過ごして来れたので、そこを崩してまで敢えて踏み込んだ一歩を「後悔」する結果が訪れたとしたら、それはなかなかのダメージだな、と。
結局、「やらない後悔よりやる後悔」というモットーのもと吹っ切りました。
結果
報告
これを言うと人によっては反感を買うかもしれませんが、漏斗胸手術は美容整形の一つだと思っています。
・・・というか、敢えてそう考えるようにしました。
もちろん、重度の方にとってはそんな軽々しいものではないのですが。
ただ、漏斗胸の手術の要否について悩み始めると、結局のところ可能性論に終始してしまうので、であれば、いっそのこと美容整形として割り切った方が気持ちが楽になります。
手術をすることで、程度に差はあれど、凹みは軽減することは間違いありません。(後戻りするかどうかはさておき)
そこだけが唯一、「~かもしれない」ではない、確実な部分です。
機能面(呼吸が楽になる、心臓の痛みがなくなる、等々)はすべて「~かもしれない」の話しでしかありません。
であれば、はじめからコレは美容整形だと割り切り、機能面での改善については何も期待しない(良くなればラッキー)方が、考えなければいけないポイントも焦点が当てやすくなり、私は決断しやすくなりました。
それでも手術を受けたいと思うかどうか。
私は先の理由により、それでも手術を受けてみよう(自分の場合は手術を受けない方が後悔する)と思いました。
結果がどうであれば、それも一つの経験として前向きに受け入れるつもりです。
以上KIROcloak
laughtup@kmd.biglobe.ne.jpAdministratorKIROcloak-キロクロ